英米の文化的伝統を知る

 

英米の文化的伝統を知る

 

The thought of power obviously neither rattle nor dismayed Kennedy. He did not wish cups to pass from his lips.
誤訳: (当選の知らせを聞いた)ケネディは(大統領という)権力の座につくことを思って落ち着きを失ってガタガタしたり、おじけづいたりするようなことは無論なかった。ケネディはコップが自分の唇から過ぎ去ることを望まなかった。
正訳: ケネディは“苦しみのさかずき”(大統領という重責の試練)が自分から過ぎ去ってほしいと望むような、逃げ腰で弱い人間ではなかった。

 

上の誤訳例の後半部の日本語訳では何のことやら意味が全然わかりません。

 

聖書のマタイ伝の第26章にMy father, if it be possible, let this cup pass from me: My father, if this cannot pass unless I drink it, thy will be done.とあります。

 

つまりイエスがとらわれて十字架にかけられる前、自分の時が近づき死期の迫ったことを悟り、別れのために十二人の弟子たちと共に最後の晩餐の席につかれる。食事中にイエスは言われた。「わたしは言う。あなたたちのうちの一人がわたしを敵に売ろうとしている」。イエスはパンを手に取って割いて弟子たちに渡して言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である」。それからブドウ酒の入った“杯”を手に取り弟子たちに渡して言われた。「皆この杯を回して飲みなさい。これは世の人々の罪の償いの為にささげられ流される新しいわたしの約束の血だから」。食事が終わって部屋を出られたイエスは弟子たちと今はひっそり静まりかえったエルサレムの町の細い道を通って町を出て行かれた。やがてオリーブ山の中腹にあるゲッセマネの園に入られると、イエスの様子が急に変わった。迫って来る十字架の死を思って急に怯えだし、うずめき始める。肩は喘ぎ、顔面には恐ろしい事に出会う前の人の顔に現れれるあの恐怖と苦しみの色がまざまざと現れる。「ああ心が騒ぐ。心が苦しい」「わが父よ、もしできることならこの“杯”をわたしより過ぎ去らせてください。わが父よ。もしこの“杯”を飲むほかに道がなければ御心のままになさってください」と、イエスは喘ぎながら言われる。「父よ、天の父よ」と繰り返し祈りながらイエスは苦しみと恐ろしさのあまり汗が滝のように地面にしたたり落ちる。イエスの全身は汗でびっしょりである。

 

ここで“杯”(cup)とは“苦しみ”の意です。したがって正訳例のように翻訳してはじめて意味が通じます。

 

つまりcupという言葉は聖書のなかでは神から与えられた運命の象徴として使われています。

 

従ってこの言葉を正しく理解するためにはキリスト教の伝統に関する知識がどうしても必要です。

 

英語を勉強する人は聖書とシェークスピアを読んでおく必要があるというのは、このようなことを指しているのです。