訳注のつけ方

 

訳注のつけ方

 

翻訳文中にやたらに註がつくのは読者の流れをさまたげるのであまり好ましいこととは言えません。

 

なかには大して必要とも思えない註や、翻訳者の学のあるところを示すためだけのような註があります。

 

ことに<彼女はハドソン川(ニューヨーク・マンハッタン島の西を南北に流れる川)を見下ろしていた>のように文中に割り込ませている“割り註”と称するものや、<かんぱい(チェリオ)>のような“ルビ”(ふり仮名)による説明などはことさら読んでいてわずらわしいだけです。

 

あるいはまた、文中のその箇所に星印をつけて巻末や、そのページの終わりに註を並べて書いてあることもあります。たいていの読者は(学校の英語の授業のテキストに使っている学生が勉強のためにいちいち見る場合ででもなければ)いちいち巻末をひっくり返して註を読むようなことはしません。

 

そこで、よほどその作品を理解するうえで不可欠というものでない限り、註はつけずに済ませるにこしたことはありません。

 

しかしどうしても必要と考えるならば、<カント(1724-1804, ドイツの哲学者)は言っている>としないで、文中に読者にそれと気づかれないように、<18世紀のドイツの哲学者カントは言っている>のようにするのがよいでしょう。

 

しかしこの註は無くてもよい註の部類かもしれません。次の例のような場合はどうしても註がないと読者に不親切といえます。

 

If in reading Faulkner we have almost the sense of inhabiting Yoknapatawpha Country during the decline of the South, it is because the details used are definite.

 

もしアメリカの作家ウィリアム・フォークナーの小説を読んでいて、彼の大部分の作品のシーンになっているアメリカ南部地方の没落期の架空の土地ミシシッピー州ヨクナパトーファ郡にまるでいま自分が住んでいるかのような気持ちになったとすれば、それはそこに書かれている細部の記述が明確、かつ具体的であるからです。

 

このように、必要な註はごく自然に本文中に入れ、本文と註とがお互いに響き合うようにすることが大切です。